慣れの恐ろしさ
手書きの手紙を頂いた。
手書きで頂いたのですから、返事はやはり手書きでと、昨夜深夜に便箋、封筒、切手などが入ったお手紙ポーチを出してきて、いざ、ペンを走らせると、便箋一枚書くのに、2回ないし3回は、スマホで漢字の確認をする始末。
6枚の手紙を書き終えるのに、1時間近くかかり、時計の針は一時を回っていた。
漢字の確認だけでなく、なんとはなしに、ペンで書いた自分の字が美しく整っていないので、5枚目、6枚目は書き直したり。
いやはや、すっかり疲れ果ててしまい。
カチカチとキーを叩けば、一瞬にして、素晴らしい手紙の文章が仕上がり、あとはプリントすればオーケーに慣れてしまっている。
恐ろしいと思った。年賀状や各種挨拶状なども、宛名だけ手書きになどしていたら、少し困ったことになるのではと思った。
世の中、手書きの必要性は薄れて要るのだろうけど、それこそ、便箋に書く親しい人との手紙のやりとりくらいは、手書きにしておいたほうが、良いかなと、つくづく。
ふと思い出したのは、求人の応募に、履歴書持参で面接に来た際、面談する前に履歴書を開いて見る。
履歴書の文章よりなにより、字が綺麗な人は、まずは第一印象がよかった。
「字がおきれいですね、、」
と、私は言葉にして面接に来て、目の前に座っている人に伝えた。
それで、多分に緊張もほぐれるだろうとの思いがあった。
字が綺麗な人は、総じて、几帳面な人が多く、後々も、だらしなさを感じることがなかったように思い出す。
パソコンやスマホの普及は、人間自らが自分の手を使って書くという能力を破壊しているのかもしれない。
家族間の連絡なども、これからは、少し、手書きメモなどに切り替えるかなと、思ったところです。
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